平野啓一郎「かたちだけの愛」(2010)

溜息の出るような、磨き上げられた語り。交通事故で片足を失った女優と、彼女を事故現場で助け出し、さらにその義足をデザインすることになったプロダクト・デザイナーの物語。途中でAimee Mullinsという実在の義足の女優のTED Talkへの言及があるので、読み途中で見るのがお薦め。人間の可能性を押し拡げるようなデザインの力を感じるし、それを現出させる小説の存在を寿ぎたくなる。

イザベラ・バードのハワイ紀行 (2005[1876])

イザベラ・バードは明治初期に日本の奥地を旅行して紀行文を残したことで日本人に知られているが、1874年にはハワイに半年間滞在している。この本はバードがハワイから出した手紙を訳したもの。

手紙の内容は土地の地理的特徴、植生、旅行記がほとんどだが、所々ハワイの政治・経済情勢がうかがえる記述がある。一番興味深かったのはハワイがアメリカに併合されるべきかどうかを問う講演会が開催されていたという記録。併合賛成派は砂糖の輸出にかかる関税がハワイ経済に重石になっているとし、併合してアメリカ本土へ送り出す砂糖へ関税がかからなくなれば大きな利益があるとする。反対派は大安として、ハワイ島の港の一部をアメリカ軍に租借させることと引き換えに関税を撤廃させようと訴える。バードは前者への支持が大多数であるとしつつも、どちらもハワイ人を置き去りにしてアメリカ人の都合で議論されていると見ている。

これは小笠原諸島の日本領有が宣言される前後であったことを考えると興味深い。

ロシアの存在感はまったくない。

ハワイ併合論を唱えたのはフィリップス。ウェンデル・フィリップスの従兄弟。互恵協定を支持したのはカーター。アメリカは既にハワイの砂糖農園を掌握しており、彼らは関税撤廃を併合により達成して利益をあげたい。カーターの提案はより穏健だが、ハワイ先住民に受け入れられる見込みはない。

マイク・デイヴィス「要塞都市LA」(1990)

アメリカ都市社会学の古典らしい。ロス市警が公共建築の操作を通じて人種差別に基づいた社会階層を固定化させ、白人コミュニティをゲートやセキュリティ設備で囲んで分断した都市を作った、と。議論の正当性は正直確信は持てないのだけど、社会学の論文はやや違うな、と思ったところを数点。

明確な議論の流れのなさ。ひとつの章のなかでもそうだし、本全体の章立てもそれによって何を全体のメッセージとしているのかがわからない。エッセイを集めただけ、という感じもする。プロローグはあるが、イントロダクションはない。

ソースに新聞記事を多用しているけど、これはちょっと危うくないか。もちろん最近の事件について述べるときに最もアクセスしやすい史料であるけど、バイアスとか編集のスタンスとかに左右されないのだろうか。ま、この人のスタンスだと政府文書は真実を伝えてない、と言いそうだけど。インタビューとか自分で集めたデータが少ないのがやや意外だった。

池澤夏樹「花を運ぶ妹」(2000)

きのう読んだ瀬島龍三の話でインドネシア賠償が出てきたが、今日の小説「花を運ぶ妹」はインドネシアのバリ島を舞台に起こる。二人の主人公である姉妹の独白を一章ごとに繰り返す手法は若干見馴れたものだが、兄の独白のほうを二人称を使うことによって区別を試みている。実際の事件をモチーフにしているのだろう、ヘロイン中毒を脱したばかりの画家である兄が運び屋の嫌疑をかけられてバリ島で収監され、パリで働いていた妹が兄の支援に奔走する。

文庫版の解説が指摘する通り、ストーリーの要素の反復が綺麗に組まれているけれど、発散して終わってしまう筋もいくつかある。兄がバリの前に訪れたヴェトナムの母子、戦後の日本インドネシア関係、レーガンの反麻薬キャンペーンという背景、妹を助けてくれる代議士。このために最後の妹と代議士の会話がやや薄っぺらく見えてしまう。

ただ3日前に「ハワイイ紀行」を読んでいても思ったのだが、池澤夏樹は地形とか舞踏とか、姿形のあるものを描写する能力が図抜けている。バリの舞踊を描写するくだりは秀逸だし、裁判の様子とか、ヘロイン常習者の語りも豊かな言葉を駆使して生き生きとあるいは重厚に描かれる。それを読むためだけに読む価値のある小説。

【レビュー】沈黙のファイル: 「瀬島龍三」とは何だったのか(共同通信社社会部編、1996年)



大日本帝国陸軍大本営参謀として南方での対米作戦を立案。戦後は東京裁判においてソ連側証人として証言。その前後合わせて11年間シベリアに抑留。帰国後は伊藤忠商事で次期主力戦闘機受注、インドネシア・韓国への戦後賠償に伴うビジネスを手がけ、歴代総理の相談役、調整役として策動。これらを通じて戦中、戦後日本の権力の中枢にとどまり続けた瀬島龍三の半生を追いつつ、陸軍中堅幹部の暴走、敗戦直後の満州を巡る対ソ交渉、シベリア抑留下でのスターリニズムの浸透、冷戦下の東京での米ソのスパイ合戦などが当事者の証言と史料調査を基に語られる。ヴェルサイユの反省と冷戦構造を背景に日本の戦後賠償は現物とされ巨大な商機を生んだ、参謀本部作戦課の対米開戦派がソ連から南方に重点を移して開戦を不可避にした、といった主な主張はこれまでの自分の理解とそう離れていないが、この本だけでは時系列を網羅していないので他の文献との比較参照が必要だろう。

【レビュー】Tokyo Year Zero (2000)

イギリス人小説家David Peaceの東京三部作の第一作。第二次大戦直後の東京で実際に起きた連続強姦・殺人事件を題材に東京の混沌と人々の生活を描く。警視庁が殺人事件の犯人を突き止めていくミステリという要素は当然あるのだが、自分が人に紹介するなら40年代後半の日本を描いた歴史小説と言うだろう。不完全文と反復を多用する文体が独特の不安定なリズムを作って、語り手である刑事の心象の混乱、東京の荒廃を浮かび上がらせる。闇市を仕切るヤクザ、田舎の農家、食料を求めて右往左往する東京の人々、進駐軍を相手にする売春婦、といった人々の生きざまが重厚に描かれている一方、進駐軍の兵士たちだけが極めて薄い存在感しか持たされていない。最後に明かされる主人公の刑事の秘密も予想していた部分とは若干異なった点に用意されており、やや肩透かし感が残った。大事なのはそっちではないのでは、と。とはいえここまでのディテールをもって占領下の日本社会の様相を提示した作者の腕は確かなもので、残り二冊も読む気にさせられる。