大江健三郎『万延元年のフットボール』(1967)

おっそろしい本。これのまともなレビューが書けるようになるにはあと3回は読まないといけない。

四国の山村出身の兄弟を主人公とする。彼らの曽祖父の弟が率いたとされる万延元(1860)年の農民一揆と、村に帰ってきた兄弟のうち弟が仕掛ける暴動、という2つの騒擾が重ね合わせに語られる。というか、弟は自分の暴動を万延元年になぞらえようとし、兄はそれを懐疑の目で眺める。


よくこれを外国語に訳す人がいると思う。フランス哲学の影響なのかもしれないが文章はきわめて入り組んでいて、日本語という迷路を隅から隅まで知り尽くしているような練達さで重厚なイメージが作られる。こういう作品が言語の境界を押し拡げているおかげで自分たちの思考が可能になるのだ。

全体を通して「本当のことを言う」という行為をめぐる思考が鍵となっている。殆どの人は「本当のことを言」わずに、あるいはその振りしかせずに死んでいく。蛮勇か狂気かとにかく何か抜き差しならない、一片の不純物も認めない衝動に全身を任せた者だけが「本当のことを言」い、その帰結を引き受ける。

はて、自分にはいつか「本当のこと」が言えるだろうか。