佐藤雅彦”これも自分と認めざるをえない”展

ミッドタウンで11月までやっています。佐藤雅彦氏のことは『四国はどこまで入れ替え可能か』を読んでから恐ろしく頭いい人だなと思っていたのですが、この展覧会も期待に違わず面白いです。いろんな人のデスクトップの画像とかあります。なんかその人の頭の中を覗いているようで楽しいです。個人的には椎名林檎のが印象的でした。でも、その隣には自分の頭の中を覗かれる展示があるんだなー。

これを見たあとに六本木を歩くと、自分が通行人を要するに属性でしか認識していないのだなあ、ということがよくわかる。「明らかに成功している旦那と一緒に六本木に住んで子育て中の女性」「アート系の学生」「高給取りっぽいコケイジアンのリーマン」「スポイルされた小学生」「ガードマン」「クラバー」等々。我々は属性の集合体以上の何でありうるだろうか。極端な話、僕の口から出てくる言葉はこれまで僕が読んだり聞いたりした言葉のマッシュアップなわけだが、そうすると僕という人間がしゃべる価値がどこにあるのだろう。「都会でいい暮らしして自分が働かずに子供を不自由なく育てるには年収x万円以上の男と結婚しなくてはならない」と考えている人は属性に恋をするのだろうか。それとも結婚相手の選定と恋は別なのだろうか。