「日本語リストラ」論に思うこと

http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368

発想は面白いと思うし「かなを持っているという比較優位」なんかまさにそのとおりだと思うけど具体的な提案には賛成しかねるかなあ。もとの記事のコメントで指摘されてるとおり、カタカナをなくしちゃったら視覚的に読みにくくなる。頭の中で音読しないと読めないんじゃ面倒だ。

外国語をアルファベットで表記せよ、というのは縦書きを葬れ、ということですよね。ついでに筆書きも(そういや中学校の時に筆ペンでノートとってる友達がいたな)。スクリーン上でしか文章を読み書きしない人はそれでいいんだろうけど。同じくコメントで指摘のある芸術性とか言語としての魅力とのトレードオフが生じますね。

提案の3は和語と漢語を説明して音便を説明すればそれですむんじゃないのかな?まあ5、6歳の子どもが理解してくれるかは別にして。漢字を減らさないのは賛成。

(そう考えると、英語を習う時に「英語という言葉は北欧語、フランス語、ラテン語の影響を主に受けていて、それにアジアとかアラビアの言葉も混じってます」「この単語はフランス語の○○から来ています」みたいなことを教えないのは間違ってる気がしてくる。これに関しては寺沢盾の「英語の歴史」という中公新書が面白い)

中国語をやっている外国人は方言にどうやって対応しているんだろうか。地方の中国人の方が北京語に慣れたのかな。

ほかにも細かい点で思うことはあるけど、実は具体案よりも重要なのは「日本語を習得してくれるノンネイティブを増やす努力を国がするべき」という指摘だと思う。これは確かにそうかもしれないな。でもそのための大前提は日本語が易しくなることではなく日本語のコンテンツが充実することなんじゃなかろうか。それが英語に訳されて、英語で興味を持った人が原語で読みたくて日本語を勉強する、というのがいい流れなのでは。いかに他者のニーズに合わせるかより、いかに自分がかっこよくあるか。ソフトパワーってそういうことでしょ(Nyeを読みましょう)。海部さんの言う「追いつき追い越す」に代わる「別の戦略」とは「自分が図々しくもスタンダードを決めていく」であるべきだと思う。

話飛ぶけどアルファベット国対非アルファベット国という構図は今後なんか面白い気がする。

あとでまた思いついたら付け足すかも。