塵の積もるように作られるロンドンと東京の印象

たぶん明日というか今朝すごく眠くてこれを書いて夜更かししたことを後悔するだろう、飛行機の中で寝てしまって、見るはずだった映画を見逃し片付けるはずだった仕事を積み残し、それは翌週まで影響を引きずるだろう、でも20年後、僕はこの文章を書き残していた自分に感謝するだろう。

今日で三週間強の一時帰国が終わる。昨日は15年来の親友と昼飯を食い歩きまわりコーヒーを飲み研究の話をした。夜は昨日ロンドンから東京に帰ってきたばかりの6年来の友人と晩飯を食った。そうして帰ってきて荷造りをした。

家を離れて住むようになって数年が経つ。より正確には、アウェイの対義語たるホームを持たなくなって数年が経つ。21歳で交換留学に行って初めて国外に住んで以来同じ住所に1年以上住んだことがほぼなく自分の家と呼べるほど自分の家具を揃えて部屋を作れたこともない。21から今までに実家の住所も2回変わっている。誰かの家に行って、そこがその人なりの価値観で統一されたものによって構成されていて、その場所でその人が寛いでいる様子を目にすると、自分が何を失っているかが強く思い起こされる。しばしばロンドンの自分の部屋でふと浮いた時間をどこに座って過ごせばいいかすらわからなくなって、ベッドの端に座ってみたり、キッチンに行ってみたり、パソコンの前に座ってみたりするが、どうもしっくりこなくてまた腰を上げてしまう。ふと思い出して読み返したい本は実家にある。たまに見返したい写真も使い慣れた調理器具も手元にない。現住所にあるのは機能は十分だがストーリーのないよそよそしい物。大家さんが揃えた、他人の家具、他人の食器、他人の家電。そうこうしているうちに1時間くらいは経ってしまう。

蔵書を自炊して、身の回りの情報はエバーノートに保存して、オンラインバンキングを使って、SNSスカイプで友達と話して、全部クラウド化してしまえばノマドになっても大丈夫だと思っている人は、身分証明、海外送金、投票、公的書類の申請、そういった手続きを国外からやる難しさを経験してみるといい。携帯電話を契約しようとしてユーティリティビルを求められてみるといい。部屋探しをして過去の大家からの紹介状を求められてみるといい。自分の本棚のない部屋で、半年前にはじめて出会った家具に囲まれ、しっくり来ない椅子に座って暮らしてみるといい。日本の地下鉄の3倍揺れるロンドンのTubeを降りて自宅に向かう帰り道で通りの名前が思い出せず迷ってみるといい。日本の自宅に帰ってきて郵便受けの暗証番号の組み合わせを忘れていることに気づいてみるといい。バックパックの底から引っ張り出した鍵で家に入り、古い住所から転送されてきた郵便物の束を受け取ってみるといい。自分の部屋に積まれた、引っ越し時から荷解きされていない段ボール箱の壁と対面してみるといい。銀行で海外送金しようとして在学証明書がないとだめだと渋られたり、登録されている自宅の住所があなたがいま記入した住所とも免許証の住所とも違うと告げられてみるといい。こうした一つ一つは僕のミスだしほんの数十分のロス、ほんの僅かの不便だが、全てを避けるのは誰にも難しいと思うし積もり積もって自己の生活をある特定の角度から省みることを迫る。

だから日本を離れるのはいつでも憂鬱だがそれは別に日本が大好きだからではない。日本に常住していたら僕の生活は今ほど自由なものにはならないだろう。しかし海を越える移動はどんなに双方の土地に慣れていても毎回多少のアジャストメントを必要とする。入国管理官との会話はいつでも神経をすり減らすし、荷物を持ってバスや電車で人にぶつかりながら移動するのも同じだ。言うまでもなく時差ぼけで最初の2,3日は作業が滞る。

東京という街の印象は毎回返ってくるごとに変化する。それはおそらく東京が変わっているというよりも僕が変わっていることを反映している。今回僕が見た東京は、すれ違ったり交通機関で隣り合わせたり,公共の場で居合わせる人々を警戒しなくていい場所だ。勿論彼らは赤の他人だがそれでも何となく似たような見た目をした彼らに対して、おそらく彼らの大部分が自分と母語を共有し同じような義務教育を受けてきて、同じような社会規範やマナー意識を持ち合わせている、と想定することができる。だから手提げカバンが荷物で膨らんでジッパーが締まりにくかったら開けっ放して持ち運べる。ATMで現金を下ろすときも全く緊張しない。空港なり銀行なりへ電話で何かを問い合わせてもアグレッシブにならなくていいし答えが返ってくると期待できる。通りを歩いていたり喫茶店で座っていて小銭をくれと話しかけられることもないしNGOのボランティアに馴れ馴れしく寄付を要求されることもない。駅構内や路上で所構わず突然立ち止まる観光客のグループにぶつかることもない。また、これは前に帰ってきた時も感じたことで、ロンドンから着いたばかりの友人と「間違いない」と言い合ったことだけれど、日本の都市は恐ろしく静かだ。救急車・消防車・パトカーのサイレンをこの三週間で一度も聞かなかった。ロンドンではサイレンを聞かずに3時間過ごすことも難しい。誰も携帯で電話しながら大声を出していない。誰も通りで叫んでいない。

だから今日のところはロンドンは研究にはともかく住むには酷いところだと言ってしまおう。

でも愚痴を並べつつも僕はいま成田空港の搭乗ゲート前でこれを書いている。2週間もすれば時差ぼけは治り英語の勘も戻り、信号も基本無視で服装もちょっと適当になり、ハレ・クリシュナのタダ飯を意外といけるよな、と思って食っているだろう。