水村美苗はアメリカ人にどう受け止められるか?

大学院の友達とWorld Literature Forumという集まりを月に2回くらいやっています。ベンガル語の詩を読んだり、村上春樹の短編を英語で読んだり、小説とそれに基づいた映画を観たりして感想を言い合う、みたいなことをしています。そして来る日曜日は僕がネタを提供すると手を挙げたのですが、かなり軽い気持ちで水村美苗La littérature moderne japonaise: deux tempsをとりあげることにしてしまいました(これは『日本語が亡びるとき』の確か第二章に収録されています)。しまいました、というのは、Google先生の助けを借りながら上記リンクのフランス語を英語に訳していて気がついた(というか思い出した)のですが、これ、過激ですね。とくに今回のように俺以外ほぼ全員アメリカ人という場所で話すネタとしては。

とうぜん中身は英語圏と非英語圏の非対称性、非英語の文学はどうやって生き残って行くんだ、みたいな話なわけですが、告知のメールで

This novelist, Minae Mizumura, has been one of my greatest heroes
since I read her latest work, "Nihongo ga Horobiru Toki – Eigo no
Seiki no Nakade (The Fall of the Japanese Language in the Age of
English)."

と書いてしまったので、アメリカ人の参加者全員を必要以上に敵に回すような気がしてややびびっています。こんなことしてる暇があったらペーパーを書け、という話もありますが、言語の問題は僕にとって非常に優先順位が高いのです。さて、どんな議論になることやら。打ちのめされて世を儚んでなかったらのちほど経過を報告します。