キッシンジャー

今日のInternational Herald Tribuneに載っていたKissingerの論説が割と面白かったので、それについて一考。タイトルは"The debate we need to have"。

http://iht.com/articles/2008/04/07/opinion/edkiss.php

キッシンジャーによれば、今の世界は3つの変容(transformation)が同時に進行しているという点でこれまでのどんな時代とも異なっている。その三つとは、

A)ヨーロッパにおける伝統的国家システムの変容
B)主権概念に対するイスラム教過激派の挑戦("the radical Islamist challenge to historic notions of sovereignty")
C)大西洋から太平洋・インド洋への国際問題の重心の移動

…と、ここまで読んだ時点で「馬鹿野郎何言ってんだ」と思った。Bが明らかにおかしいと思った。主権概念に挑戦してんのは人道的介入とか保護する責任とかを持ち出して国境を越えまくってる欧米のほうじゃねえか。と。

続けて読んでみると、Bの根拠としてキッシンジャーがあげてるのは分離独立運動らしい。コーランの教条的な解釈によって世俗的な国家のモデルを却下し、住民の大多数がムスリムの地域にどんどん手を伸ばしていると。

「国際システムも現存する国内体制もIslamistの立場からは正当だと認められないので、そのイデオロギーには、工業国家(industrial states)の安全保障とか繁栄(well-being)に重要な意味を持つ地域に関して交渉とか均衡といった西洋的発想が入り込む余地が殆どない」

と、こうおっしゃる。Industrial statesの意味するところがよくわからん。もう一つわからんのは、イスラムの分離独立運動というのはいったいどこを指しているんだろうか?その直後にはイラクの名前が挙がってるけど、あれって分離独立運動だったの?なんかいまひとつ意味がつかめんので反論もこれ以上先に進めず。修行の足りなさを痛感。

Cに関して面白かった指摘は、現在のアジアが19世紀のヨーロッパ的バランスオブパワーの世界に類似しているというもの。(これってひょっとして当たり前になされている議論なのだろうか?)

19世紀のドイツと現在の中国を重ねて戦争の危機を見る向きもあるが、現代は経済、環境、エネルギーなどグローバルな協力が必要とされる分野が(特に米中間で)多く存在するとキッシンジャーは言う。だからそんなに心配は要らないんじゃないか、というトーン。ちょうどポール・ケネディの『大国の興亡』を読んでいるのでこの指摘はすごい興味深かった。

しかし『大国の興亡』の該当部分を一読して理解できた感じでは19世紀のヨーロッパというのは同盟関係がすごい複雑かつ頻繁に入れ替わって、そのおかげで大戦争が防げたっぽい。その背景にはどの国もヨーロッパ全体に覇を唱えるほど飛びぬけていなくて、且つ潰されるほど弱くはなかったという状況がある。一方で現在のアジアにおいてはそもそも戦争が違法化されているうえに核兵器があるから武力行使は簡単には政策オプションに挙がってこない。

ていうかバランスオブパワーってのはそもそも大国間の衝突を防ぐことを念頭に形成されたんじゃなかったっけ?キッシンジャーの書いてることと殆ど変わらないけど、今のアジアでは貿易とかサプライチェーンの結びつきが強すぎるから、衝突して勝つことで得するとは限らない。やっぱり似てないよなあ。21世紀のアジアにどんな国際体制が存在するべきかを問うたとして、そういう体制の目的は19世紀ヨーロッパのそれとは全然違う。しかも仮にアジアのどっかで紛争が発生したとして、第一次大戦みたいに域内国がドミノ倒し的に参戦する事態は想像しにくい。EUみたいにかっちりしたものがなくても、アジアの国家間統合は着実に進んでいるのではなかろうか、という無難すぎる結論で今日は終わります。おそまつ。